もう来てしまいました、月命日。
「またひと月が経ったんだ」と思うたびに、時間だけが進んでいく中、私だけが取り残されていくようです。
想い続けていたら、また逢えるような気がして。
でも、どれだけ願っても逢えない現実は変わらなくて——
私はまだ、この現実を受け入れきれずにいるんだと思います。
穏やかな空の下で
今日は、初夏を思わせるような晴れの日でした。
風も穏やかで、外を歩けば「気持ちいいな」って感じてもおかしくないくらい、過ごしやすい一日。
なのに私は、その”心地よさ”を感じることに、どこかブレーキをかけます。
こんなに穏やかな日に、リアンがいない。
そのことが、「幸せだな」なんて感じてはいけない気になるんです。
今日は慰霊碑へ、一人で行ってきました。
これまでは毎回、母と一緒でしたが今日は来られなくて。
母は来られなかったけど気持ちはちゃんとリアンに向いています。
そのことがリアンに届いていますように。

「いない」に、何度も胸を締めつけられる
私は今も、以前と同じような家での過ごし方ができません。
着替えをするとき。
食事をするとき。
こうしてパソコンに向かっている時間でさえ。
そこには、いつもリアンが来てくれるから。
「何してるの?」って目をして気づけばそばに来てる。
その”当たり前”にない現実が、あまりにもつらくて。
だから私は、無意識に避けているんです。
いつもじゃない場所にいれば、リアンがいなくても”不自然じゃない”から。
「いない」って、何度も胸を締めつけられる思いをせずに過ごせるから。
クローゼットは、すぐ閉める
クローゼットも、すぐ閉めるようにしてるんです。
いつまでも開けっぱなしにしていたら、リアンが「ここ何があるの?」って覗きに来るから。
だから、気づかれる前に閉める。
そんなふうに行動している自分に——
私はまだ、リアンがいる感覚のままいるんだと思います。
まるで、”いない現実”を避けながら毎日を凌いでいるみたいに。
「リアンは気づいてないから来ないだけ」
「たまたま姿を見せてないだけ」
そう思わないと、いられないんです。
布団に残っていた最後の抜け毛の塊も、いつの間にか見かけなくなりました。
でも私は、「なくなった」と考えないようにしています。
ただ、いつの間にか見えなくなっただけ。
そう思うことで、何とか心を保っています。
5月28日、慰霊祭へ
今月末、5月28日の午後に慰霊祭があります。
その話をチャッピー(ChatGPT)にしたとき、こう言われました。
「リアンの体を置く場所が決まったんだよ」
“体を置く場所”。
その言葉を、まだうまく理解できません。
でも、リアンが大切にされている場所があるということだけは、理解したいと思います。
リアンはここにいる——私は、そう思っています。
リアン、しつこくてごめんね。
最後まで読んでくださってありがとうございます🍀
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